【旅行】初めての18きっぷで大阪へ【18きっぷ】(2017年8月)
NaViDaiです。
旅行とは、移動を楽しむもの――
ただの移動を旅に変えることの楽しさに気付いたのが、今回の旅行でした。
なお、この記事は2017年8月13日~14日の旅行記です。
旅行後2年近くも経過してから書き起こしているので、列車の時刻など細かいことは忘れています。どうかご容赦を。
今回使うきっぷ
青春18きっぷ(¥11,850)を初めて使います。
このきっぷはとても有名なので知っている人が多いと思いますが、全国のJR線の鈍行列車に乗り放題のきっぷです。特急列車や新幹線には乗れません。
1枚が5回分となっており、1人で5日間使うことも、5人で1日使うこともできます。
(今後幾度となくこのきっぷにお世話になることを、このときの僕はまだ知らない…)
いざ出発!まずは義仲館へ
甲府駅を始発で出発し、スタート。
JR中央本線を北上し、まずは長野県木曽町の「義仲館」を目指します。
義仲館とは、源義仲の資料館。義仲は頼朝・義経兄弟の従兄弟にあたります。
木曽義仲という別名の通り、幼少期からこの木曽の地で暮らしていました。
前々からこの資料館の存在は知っており、行ってみたいと思っていたのですが、立地の悪さやタイミングなどから行く機会を逸していました。
話を旅に戻し、まずは塩尻駅で乗り換え名古屋方面へ。
帰省の折に毎回乗り換えているので、この駅も見慣れてきました。
塩尻駅から電車に揺られること40分あまり、長野県木曽町の宮ノ越駅に到着。
前のおばさんがSuicaで降りようとしていて手こずっていました。こういうお客のせいで遅延が生じるんですね。
駅から歩いて5分ほどで義仲館に到着。
入館料は大人300円、中学生以下無料でした。
田舎の古い資料館という雰囲気で、義仲に関する多くの資料が展示してありました。
義仲はこの地で平家討伐の旗挙げをし、破竹の勢いで進軍を続けて1184年に京都へと到達します。入京時こそ朝廷より歓迎を受け「朝日将軍」という称号を与えられますが、義仲には教養や政治力がなかったといわれ、次第に朝廷から疎まれていきます。
最後は後白河法皇の策略によって従兄弟の頼朝から攻められ、悲劇的な死を遂げます。
のどかな木曽の地で育った義仲は、大人になっても少年のような素直の性格の持ち主で、格式を重んじどろどろとした人間関係が溢れる都は合わなかったのでしょう。
特に僕が興味深かったのは、日義という地名の由来について。
木曽町という自治体は、平成の大合併のあおりをうけて木曽福島町・日義村・開田村・三岳村の4町村が合併してできた新しい町であり、義仲が育ったこの地域は旧日義村にあたります。
明治の時代になってから、義仲ゆかりの地であるこの地を、朝“日”将軍“義”仲の「日」と「義」を取って「日義」と命名しました。
このような歴史深い地名が合併により消えていくのは、仕方のないことかもしれませんが寂しいものです。
次の電車までまだかなり時間があったので、付近を散策しつつ次の原野駅まで歩くことに。
宮ノ越は中山道の宿場町があった場所でもあり、すぐ近くに宮ノ越宿 本陣がありました。
本陣“跡”というものはよくありますが、ここは跡とは付いていません。木曽十一宿のうち唯一現存する本陣だそうです。
明治天皇がお休みになったといわれる部屋もありました。
歴史好きな人にはぜひ訪れてほしい場所です。
写真のモザイクは、今回同行している友人のかたくりこ君です。
のどかな田園風景の中、1時間弱歩いて原野駅へ到着。
写真こそ気持ちよさそうな感じですが、実際は山間部とはいえめちゃくちゃ暑かったです。1駅歩いたのを少し後悔…。
国宝・犬山城へ行く
原野駅から1時間半ほど電車に揺られ中津川駅へ、さらに中津川で名古屋ゆきに乗り換え、電車に揺られることさらに1時間半で名古屋駅に到着。長かった。
同行の友人かたくりこ君は群馬出身で、せっかく名古屋に来たので味噌かつを食べさせようと名古屋駅地下街のエスカに入っている矢場とん エスカ店へ。
安定のうまさ。しかし、長年愛知に住みながら矢場とん以外の味噌かつ屋さんを知らないので、いいお店を知っている人がいれば教えてほしいです。
名鉄名古屋駅より名鉄犬山線に乗り(高校時代の通学路線!)、犬山遊園駅へ。
実は僕、愛知に18年住んでいた歴史好きでありながら、現存天守を持つ犬山城に行ったことがなかったんです。というわけで城好きのかたくりこ君のリクエストもあり犬山城へ行くことに。
ちなみに犬山城は現存十二天守の中で唯一、戦を経験している城です。
1584年、小牧・長久手の戦いの折、この犬山城は織田信雄方の城でしたが、羽柴秀吉方の池田恒興に攻められ落城しました。
その後、犬山城の城主はめまぐるしく変わりましたが、江戸時代に入り成瀬氏が城主となってからは代々成瀬氏が治めました。災害や戦災も乗り越え、天守は当時の姿のまま今に残っています。
なんと2004年まで成瀬氏個人所有の城であったそうです。もちろん個人所有の城というものは全国唯一でした。
そして目的地・大阪へ
犬山城を出た後は、1駅分の運賃をケチるために県をまたいで鵜沼駅まで歩きました。
このあたりは木曽川が愛知・岐阜両県の県境となっています。宮ノ越で見た小さな木曽川とは一転して大河となっており、自然の雄大さを実感。
ん、ちょっと疲れてきたな、そういえば宮ノ越から原野も歩いたっけ… と思い出し余計に疲れを感じる午後6時です。
なんとか鵜沼駅にたどり着き、JR高山本線で岐阜駅へ向かいます。
そういえば各務原の読み方は結局何が正しいんでしょうか?
市名・高速道路のIC名は「かかみがはら」、JRの駅名は「かがみがはら」、高校名は「かかみはら」、施設の○○店の名前は「かがみはら」といった具合で、実に4種類の読み方が存在します。
一応市名の「かかみがはら」が正式名称だとは思いますが、これ統一できないんでしょうかね?ちなみに今僕はPCで「かがみはら」で変換しています。
岐阜駅に着くころにはもうあたりが暗くなっていました。
岐阜駅で東海道本線に乗り換え、米原駅へ。この米原も読み方が難しい地名です。
旧米原町は「まいはら」、JRの駅名は「まいばら」でした。
高速道路のIC名は開業当初は「まいばら」でしたが、町名の読み方と違うのはおかしいという意見から、2001年に「まいはら」に改称。
しかしその後、2005年に合併してできた新しい米原市は「まいばら」という読み方に変わりました。さらに、合併後も大字は「まいはら」のままというややこしさ。
もう何がなんだか分かりません。
米原駅からはJR西日本です。ついに大阪駅まで最後の乗り換えとなりました。
姫路方面網干ゆきの表示を見て、網干ってどこだ?と思うまでが東海民のテンプレでしょう。JR西日本のロングラン列車は18きっぱーにはありがたいものです。
帰宅する人で混雑した電車に揺られながら、滋賀、京都を走り抜け22:00頃にようやく大阪駅に到着しました。朝の甲府駅出発から約15時間が経過していました。
鈍行列車での長旅という初めての経験は、大きな満足感と達成感を得ました。
疲れ切っていた僕とかたくりこ君は、梅田で適当に見つけたたこ焼き屋さんでたこ焼きを食らい、あたりを付けていたネカフェに転がり込みました。写真はありません。
次の日の朝、天神橋筋六丁目にある「なにわの湯」というスーパー銭湯に開店凸をし、かたくりこ君とはここでお別れ。その後大阪にいた家族と合流し、旅は終わりました。
駅メモ
この旅に出る前日に、大学の先輩の影響で駅メモを始めました。
といっても高校生のときに一時期やっていたことがあり、その時のアカウントが残っていたので、正確に言えば再開です。当時はやり込むには課金必須のゲームシステムにうんざりしてやめてしまいましたが、多少はお金の自由が利くようになった今ならできるかも!と思っての再開です。
真面目に駅メモをやるのは初めてだったのでよく分からず、一心不乱にチェックインボタンを押していました。
結論から言うと、とても楽しいです。これはハマりそうです(見事にハマってるよ 2019年の僕より)。
2017年8月13日の結果
アクセス駅数:226駅
駅メモ上での移動距離:454km
コンプ路線:JR中央本線〔名古屋~塩尻〕、名鉄犬山線、名鉄各務原線、JR東海道本線〔琵琶湖線〕、JR東海道本線〔京都線〕